東日本大震災の後、アルコールやギャンブルといった問題を抱えた本人やそのご家族の相談と、そういった人たちを支援する保健師さんや関わる方々への啓蒙・啓発活動のために、南三陸と釜石市にて、アルコール依存症という病気についての勉強会や相談会を3年の間定期的に行ってきました。

そのご縁もあり、10年の節目の年に訪れようと予てより思っていましたが、思いがけないコロナウィルスの感染拡大により延期を余儀なくされました。

10月に入りワクチン接種も進み感染状況も改善され、緊急事態宣言が解除されたこの機会に訪れようと決めました。震災の凄まじさを物語る光景にこの目を疑い驚き、こんなことがあるのだろうかと混乱して呆然と見ていた場所が、どのように復興したのかこの目で見たかったのです。それと、自身がどのような気持ちで通っていたのかを確認したかったのです。

当時の状況を伝えるパネル展示

11月3日朝、東京を出発し、常磐道経由で南三陸へ。
中断されていた道路のETC割引が適用される日と重なり、途中流山を通過するまで混雑していました。その先、土浦あたりで車4台が絡む事故があり渋滞。運転に気を引き締めねばと言い聞かせました。さて、その後は順調に飛ばし、福島県に入り大熊町・浪江に入ると、土地のあちこちに夥しい数の被爆した土などを詰め込んだと思われる大きな黒い袋はいったいどこに行ったのだろうと思いながら走ります。
そして、高速道路沿いには放射線量を知らせる計器がいまもそのままでした。
三陸道が整備され宮古までつながり大変便利になったようです。
三陸道をいったん降りて国道45号線を北上します。

国道45号線沿いに山のように積まれた車は撤去され、朽堤防は高く大きくなり、朽ち果てた建物はなくなり新しい建物が立ち並んでいました。

最後まで避難の呼びかけを続け多くの方々の命を救った防災センターは復興祈念を象徴する震災遺構として整備された公園の中に保存されていました。
そこに用意された献花台には花が添えられ線香がともされ訪れる人が絶えない様子がうかがえました。

震災から半年後の防災センター 2012年

現在の防災センター 2021年

南三陸では9年前に泊まったホテル観洋に宿をとることができました。
この海沿いにあるホテルは甚大な被害の中、当時地域の避難場所として多くの人たちが肩を寄せ合い励ましあったと聞いていました。
コロナ禍にあってもいくつもある客室は満室で、食事をとる宴会場は、感染予防に配慮され間隔を開けてはいるものの大勢の宿泊客で賑わっていました。
広いロビーには10年前の様子を収めたたくさんの写真が展示され震災の様子を伝えていました。観光であれ、仕事であれ、ここを訪れた人たちの記憶に残る場所になることでしょう。

(中編へ続く)