手が震え、有り得ないものが見え、無い物の音が聞こえる時は決まって体内や脳からアルコールが抜けかけている時でした。「離脱症状」という発作的な症状が私の場合はひどくて、治まるまで拘束されていました。
離脱症状が治まり拘束が解けてもまだ頭がボーとしていましたが、そのまま部屋から出されました。「やっと煙草が吸える」と思い煙草が吸える所に行きましたが、煙草は持っていません。入院しているらしき人に「煙草を一本もらえますか?」と聞きましたがもらえませんでした。テーブル式の灰皿にライターが鎖でつながれているのを見て精神病院にいるのを感じました。
お金を持っていないので入院できるのか分りませんでしたが、生活保護にかけてもらい入院費は心配いらいないとのことでした。こんな状態で生活保護のお世話になるとは思ってもみませんでしたが、本当に助かりました。身体の調子はあまり良くはなかったのですが、閉鎖病棟から解放病棟に移りました。色々連絡をしなければいけないので最初に社長に電話をしました。私は元気になったら頑張るつもりでしたが、「入院までになったならまず身体を治してからこれからのこと考えた方がいいぞ。もういいかげんにしろよ。仕事も無理なんじゃないか。」と言われました。あんなに良くしてくれた社長ですが、さすがにアルコール依存症で入院となったらこの先の事や今までの事を考えたら使う気にはならないのは当然だと思います。飲んでは休んでいた私が仕事を続けてこられたのはこの社長がいたからでした。もうこれ以上迷惑はかけられないと思い「わかりました。お世話になりました。色々ありがとうございました。」と伝え仕事もなくなりました。
解放病棟に移っても身体は本調子ではなく、この先のことを考えたら不安でいっぱいで、食事も固形物はあまり喉に通らないのでおかゆの日が続き、夜も眠れずに毎日追加の睡眠導入剤をナースセンターにねだる日が続きました。
入院している精神病院とアパートが近かったので外出許可をもらい自転車を持ってきて自転車で色々手続きをして廻りました。そして、今住んでいるアパートの家賃が保護費では賄えないので引っ越してくださいと言われた私は入院して住む所と仕事を見つけなくてはならなくなりました。