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救急車のサイレンが聞こえるとホッとすると同時に余計にひどくなっている気がしてきて、もう出ない胃液を無理に吐き出そうとしているところに救急隊員の人が来るということを何回か繰り返していました。運ばれても単なる飲み過ぎなのでいつも緊急外来で点滴を打ち、家に返されていました。ある時はお金がないのでよろよろと逃げるように外に出て帰ろうとしているところに後ろから叫びながら看護婦さんが追いかけて来た時もありました。そんな事があったからか、点滴の途中でトイレに行きたいと言った時に尿瓶を出されて断ると看護婦さんが汚いものをつまむように私の服の端をつまんでトイレまで付いて来て用が済むまで嫌な顔をして待っていました。実際風呂にも入らず汚かったと思います。今思うと本当に必要な人がいるのに救急車をタクシー代わりに使って、自分勝手に飲んだ酒を抜く道具に使っていたことを反省しています。
そんな状態でもなんとか仕事にいけるときは行っていましたが、月の半分はダメな状態でした。そんな時に伯母が癌の終末期を迎え、ホスピスのような所に入ると連絡が来ましたが、何の手伝いも出来ずにいました。
私自身の状態が良くなったら会いに行こうと思っていたのですが、生活態度は相変わらずなので状態は良くなるはずもなく、二日酔いどころか、酒が身体に残りながら仕事をしている時に伯母が亡くなったと連絡が来ました。
一人でひどい暮らしをしている私に気づいていたのか知りませんが、ずっと世話をしてくれていたもう一人の叔母は「もうすべてこっちで済ませたから納骨だけは来てね」と言われました。あんなに親子で世話になった伯母に恩返しどころか、顔も見せることも出来ずに亡くなったことは後悔してもしきれませんでした。
もう一人の叔母にも任せっぱなしで納骨の時に久しぶりに会ったのですが、「○○(わたしの苗字)のことはこれで一区切りにしよう。私も元気で暮らすからあなたも頑張ってね。連絡はもういいよね。便りがないのは元気な証拠っていうじゃない。」と言われ、もう私と関わりは持ちたくないんだと感じました。亡くなった伯母もそうですが、叔父もその奥さんにも迷惑だけ掛けて生きている私でした。その叔母にまた迷惑をかけたのが、後に私が起こすコンビニ強盗事件でした。