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お酒、やめられなかったです。私には生きるのに必要なものでした。
精神病院に入っても、何度も警察に捕まっても、いろんな方が助けてくれようとしてもダメでした。「今度飲んだら坊主にします」と誓約書を書いても、半年しないで飲んで頭を丸坊主にもしました。それでも少し髪が伸びると化粧して酒を買いに出てしまうのです。
プログラム(マックの依存症回復のためのプログラム)につながらせて頂く年は、1月に缶ビールの500㎖を二日間で75本飲みました。
3月には覚せい剤をつかうようになり、静岡の留置所で3か月過ごすことになります。七夕に執行猶予3年4か月で出てきました。それでもだめなんです。すぐに精神薬の乱用と、大酒を飲み警察のお世話になります。診察していただいたクリニックでも問題を起こして、「あなたがいると犯罪がおこる」「あなたの行く所は中間施設しかないでしょう」と言われ、どうやって行ったか分からないですが板橋にある施設に行かせていただきました。待ち合わせの改札を間違えて、迎えが来ないと「おまえらなめてんのか」と脅しのような電話をかけています。そこに職員さんが黄色の自転車を押しながら迎えに来てくれたんです。私より小さいおじさんで、歩きながら「ここは仲間が買い物に来るとこなんだ」「ここは春になったら桜がきれいなんだ」と話をしてくれて、私に飲んだことを責めるようなことは何も言いませんでした。私は「気さくなおじさんだな。きっと用務員のおじさんなんだな」と勝手に考えていたものです。ま、、、後で知るのですが、そのおじさんが当時の所長でした。施設には猫が2匹いてくれました。話しかけてくれる仲間もいて嬉しかったです。人が怖くて仕方なかったですが、今までと違って次の日も行きました。少しずつですが「この人達から離れたくない」と思うようになったんです。離れたくない人達は、酒をやめるために提案と言うものを守っていました。「ホームグループを決めたほうがいいですよ」「スポンサーを決めたほうがいいですよ」「毎日のプログラムを相談して決めたほうがいいですよ」等の提案をだいじにしていたんです。だから私も真似をしました。飲まないで生きることを選んだ形が底だったんです。私の底つきはプログラムに入らせていただいてからですが、周りの仲間が目指しているものを一緒に見ることができたので歩くことが出来ました。施設では味噌汁当番があり、当番の日は眠れなかったのを覚えています。そして、仲間と笑いミーティングに行けることが嬉しくてたまらなかったです。ミーティングでは仲間と争うように飲んでやってしまったことを話すことが出来ました。不思議なことにひどい過去を話せた帰りは気持ちがかるくなっていました。

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