病院食がおかゆから通常食に変わった頃には身体の調子もよくなり、この先のことも考えられるようになりました。退院したら生活保護は切られるものだと思っていたので、家族で住んでいたアパートの高い家賃を払える自信はなかったので、ここは行政に甘えて住む所も新しくして仕事も探し、生き直そうとやる気が出て来ました。精神安定剤と睡眠導入剤が効いているのか食欲もあり、寝ることもできるので入院生活はとても楽なものでした。食事は出るし、いつでもアパートに帰ることができ、お金もアパートに少し残っていたり友達がお見舞いに来てくれて見舞金を頂いたりでなんとかなりました。
不思議なのは酒を飲まずにいられることでした。この入院中にも酒を飲んでしまって強制退院させられた入院患者を見て、なんで飲んじゃうんだろうと思っていました。更に不思議だったのは入院しているのに朝、何人か連れ立ってどこかへ行っている人達でした。患者仲間に聞くとリブ作業所というところでした。リブ作業所はワン・ステップの前進で自助グループのAAにつなげる為の中間施設でした。「入院しているのにご苦労なことだね。行くもんじゃないよあんなところ」と話していました。AAは今回の入院中に看護婦長さんが近くの会場に連れて行ってくれていたので知っていましたが、確かに私はアルコール依存症みたいだけど飲まないで今いられるし、アルコールの問題より住む所や働き口を見つける方が最優先だと思っていました。
入院はしているのですが一日に2回、3時間位外出許可をもらうことが出来たと思います。その時間内で洗濯をする為にアパートに帰り、引っ越し先を探し、引っ越し業者に見積もりをしてもらい、取り敢えず現金が欲しいから求人誌で日払いの仕事を探しました。まだ30代だったので仕事もあり体力的にも自信がありましたから一生懸命働いて、お酒は飲んでしまうかわからないが、人生立て直すんだと思っていました。アルコール病棟に入院しているのに自分自身病気の部分を見ないまま退院の日が決まりました。