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飲んでいた時は朝起きる時間も寝る時間もいい加減なものでしたが、施設につながらせていただくと日に日に生活するリズムを作っていただけるようになりました。お昼ご飯は自分で毎日お弁当を作りました。それは、さんざんに父をだまして来たので「今度は酒やめるからって金くれなんて話が通らないだろう」と父に支援してもらえなかったからです。「お金は渡さないけど、冷蔵庫の中のものは好きに使いなさい」と言ってくれて、いつも冷蔵庫にはたくさんの食べ物を用意してくれていました。私が疲れていると、大鍋にたっぷりのおでんを作っていてくれたものです。
そのおでんをお弁当に入れて行くことも多かったです。私の中ではジュースやパンを買っている仲間がうらやましくて「いつか私も手に入れるんだ」と歯を食いしばって我慢していたことを思い出します。
夜のAAは交通費がなかなかもらえなかったので(父への頼み方が悪かったものですから)自分の足を使いました。地図を持って2時間くらい歩いたこともあります。献金は祖母と子供のころに瓶に貯めた5円玉を2枚入れました。音が出るようにしたんです。少しでも恰好つけたかったんですね。コーヒーはカップに半分くらいにコーヒーとミルクと砂糖を入れてドロドロのものを飲んでいました。周りの仲間は黙って見守っていてくれたんですよね。まあ、時間とともにコーヒーも薄くなっていきましたが、、、そのころの私は味覚も狂っていて普通がわからない状態であったと思います。家にいるのは辛かったので、仲間に会いに会場に行けることは嬉しかったです。
毎日の会場で泥のようなコーヒーを飲みつづけて、仲間との分かち合いでは過去のひどかった自分の話をしっかりとさせていただきました。けれども私は仲間との争う道具にしていきました。
ひどい話を聞かせて頂くと、私のほうがもっとひどいことをしてきたんだとばかりに話しました。
おかしな現象ですが、ひどさを争って自分の勝ちとか考えていましたね。正直さが変な方向に向かっていました。でも仲間の中ではそれも削っていただけました。プログラムは不思議な力を持っていて、歩いていれば必要なものは与えて頂いて必要でないものは削って頂けます。
あの頃、ミーティングを歩き続けていても大事なことが出来ていませんでした。それは正直さです。過去の話は出来ていても自分の心の中の本当の言葉は出せなかった。不安に思うことや、苦しい思いなどをごまかした分かち合いでした。本当は毎日死ぬことばかり考えていたのですが、仲間に話せなく苦しかったです。それも削っていただきました。プログラムと仲間の力です。

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