(前編はこちら)
翌朝、少し早めに起きて綺麗な朝焼けに元気をもらい朝食をしっかり摂って出発です。
9年前45号線沿いを眺めながら釜石までの道のりを走ったことを思い出します。橋は津波に飲み込まれ、三陸鉄道の線路は折れ曲がり寸断され、アスファルトは土砂に覆われ頻繁に行きかうダンプカーに巻き上げられて前が見えないくらいの土埃をたてていました。そんな45号線を眼下に眺めながらきれいに整備された三陸道を快適に走り釜石に入りました。
特に変わった様子はうかがえない釜石駅を横に見ながら大渡橋を渡り市街地へ入ると、瓦礫で覆われた道路沿いは綺麗でおしゃれな建物が並び、震災後地域の復興の後押しにといち早くオープンしたイオンモールの周りはおしゃれなカフェや雑貨を取りそろえたお店などが並び目を楽しませてくれました。駐車場も整備されさらに便利になって営業を続けていました。
私たちの活動に協力いただいた釜石市健康福祉推進課のあるのぞみ病院は当時のままでした。その9階に社会福祉協議会を訪ねました。
当時私は「アルコール依存症は回復できる病気である」ということを知っていただくために保健師や支援員といった方々を対象とした勉強会を釜石市の各地域で開催してきました。
その拠点となった場所です。変わらぬ佇まいに懐かしさがこみ上げました。
当時、お世話になった菊池さんは課長という重責を担って頭髪に白いものが見えるようになっていましたが、その人懐こい笑顔は当時のままでした。
立ち話をしながら、ここで勉強会をやったんですよねぇと言いながらその部屋を見ると、
新型コロナ対応の拠点となってスタッフが忙しそうに仕事をされていました。
その中に当時、私たちの活動の窓口となっていただいた見覚えのある保健師さんの後姿を見つけお声をかけさせていただきました。なにせ7年ぶりで顔を合わせましたのでお互いにびっくりです。まさかの再会に旧友と会ったような懐かしさがこみ上げました。
コロナ禍でなければ思わずハグしていたことでしょう。
そんな再会に感謝しつつ鵜住居地区に入りました。
震災の翌年から定期的に訪れた釜石市の中でも大きな被害のあった場所の一つです。
当時保健師さんに案内され目にした光景に大きな衝撃を受け身体を震わせ涙した消防署もその周辺の幼稚園もなくなりその区画は整備され45号線は以前と違うところを通っているように感じるくらいに変わっていました。
(後編へ続く)
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