結局退院したらすぐに飲むというのは前回と同じでしたが、前回と違うのはお酒をやめるプログラムにつながっていたことでした。2か月強でしたが自分のことをミーティングで話して、自分の病気を少しでも見られて、お酒をやめて行かなければダメになると思っていたのは本当の気持ちでした。明日から自分で起きて弁当を作り、ちゃんと行かなければならないという思いが強かったのか、役所の人や中間施設、病院の人達がアパートからの3ミーティング参加を認めてくれていたからかわかりませんが、一旦飲みだしたら止まらない私が発泡酒3本でやめて病院から処方された薬を飲んで寝ました。その場面になってみないとわからないですが、これが明日から仕事だったり休みだったら飲み続けていたと思います。とは言えいろいろな思いがあってお酒が止まるならそれまで入院もしていなし、離婚もせず仕事も続けられたと思います。この日発泡酒3本で止まったのは我慢だけだったと思います。
翌日は酒の匂いがしないかびくびくしながらの通所でした。飲んだことは話す必要がないとこの時は思っていました。とにかく今日からなんだ、と思って一日過ごしました。その日の夜は今までで一番苦しかった記憶があります。前の晩飲んでいるので当然飲酒欲求が出て何回も「一本だけなら」「少しなら」という考えが出ましたが、夕食をとった後すぐに処方された精神安定剤と睡眠導入剤を飲み布団に潜り込みました。
次の日からは飲みたい気持ちが出るのを防ぐために自転車でAAに通う道は飲み屋を避けたり、お酒のCMを見たくないのでテレビも見ずにラジオを聴く生活にしたりしていました。
何日かそんな感じで中間施設に通いました。少しずつ1日のリズムがとれるようになり、大した料理はつくれませんがお弁当作りや自炊もするようになりました。保護費の中でやっていくので仕方なくやっているところもありましたが、朝ちゃんと起きられ、1日3食取る生活で少しずつ人間らしい生活ができている自分がいることを日々感じ始めていました。
「このプログラムは良くできている。」そんな生意気なことをミーティングで話していた頃、退院後に飲んだことを話している自分がいました。一回飲み出したら止まらない自分も本当ですが、あの日止まったのも自分でした。生意気なことを言っていましたが、本当に何かが違うと感じていました。ですから「退院後に飲んだ日みたいに今度も酒を止められる」という考えは浮かばなくなっていました。