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通所して二か月過ぎると通うのにも慣れてきました。入院をしてはいるものの朝病院を出たら夕方まで外にいるので気分的にもいいし、朝、晩と食事が出るので助かりました。それに中間施設やAAに行っていれば病院のスタッフからは何も言われないし、逆に「頑張ってるね」と声までかけてくれる人や「Kさんて入院している意味があるの?」と言う人もいました。
不思議な入院生活でしたが、看護婦さんが言っていたように主治医から退院の話が出ました。前回の入院のこともあるので「Kさんが良いと思ったらいつ退院してもいいですよ。」と言われました。そう言われると不安になりました。今この状況だから飲まないでいられると思っていたので、この先一人でアパートから中間施設に通う自信も飲まないでいられる自信もありませんでした。入院した頃よりも自分の病気の部分を見られたのだと思います。それだけ2か月強のミーティングが効いていたのかもしれません。しかしずっと入院している訳にはいかないので、思い切って退院を決めました。その後カンファレンスを行い、引き続き生活保護のお世話になりながら今度はきっちり3ミーティングをやることが決まりました。ナイトケアの話も出たのですが中間施設の施設長、病院のスタッフやケースワーカーさん、役所の担当さん方達のおかげで退院後アパートからの中間施設通いに決まりました。いざ退院が決まると、夜のAAミーティングから帰った時に病院が取り置きしてくれている食事がとてもありがたく思えてきました。最初の入院中には文句を言っていた病院食でしたが、これからは自分で作らなければならないと思うと余計にそう感じました。不安はありましたが、今やめて働いてもまた同じだという思いの方が強かったのだと思います。
退院の日は午前中だけ中間施設を休み午後から施設に行きました。アパートが近かったので荷物は少しづつ運んでおり身軽な退院でした。明日から本格的に始まりだという気持ちとともにおかしな気持ちが湧いてきました。夜AAミーティングに通っている時に入院中はソブラエティ(飲まない期間)には入らないと聞いたので、明日から始まりなら最後に飲めるのは今日しかないという気持ちでした。今思うとこれこそが私の「狂気」でした。
午後中間施設に行き夜AAミーティングに出てアパートに帰りましたが、昼間出た「狂気」は収まっていませんでした。近くのコンビニから発泡酒を買ってきて「最後の酒だ」と思いながら3か月ぶりに飲みました。

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